2月3日の日記
2008年2月3日最近目が悪くなった人が多い気がする
多分にもれず自分も相当目が悪い 最近は特に近視が進みこの前などはあの冗談のような大きさの0.1の円がぼやけてかなりあせった
残念なことに裸眼ではもう生活できない 原付も眼鏡等が条件だ
どうも最近はコンタクトという便利なものがあるからか目が悪くなっても 眼鏡かければ コンタクトすればいいじゃん と思う人が増えてきたように思う
眼鏡を作りにいくとよりはっきり見える度数の高いものばかり薦められるがあれはどうなのだろうか もう二度と視力は元に戻らず悪くなればまた高い度数にすればいいんだからよく見えるやつにしておけ ということなのだろうが自分はこの風潮にいささか懐疑的である 高校時代から眼鏡をつけはじめたが同時期弟はよく見えるからとコンタクトだった 親もそのほうが目が悪くならないといっていたが結果的に早く近視が進行したのは弟だった しかし今自分も時間はかかったが結局は生活できないまでに近視が進み眼鏡に固執したせいかはしらないが目つきもかなり悪くなってしまったように思う 果たしてどちらがよかったのだろう
もちろん後悔はしていない さすがにここまできて視力が元に戻るとは考えていないがそれでも眼鏡は不便に感じない程度の度数でいいしできるだけ生活の中でも裸眼でいたいと思っている
美しい自然の風景を裸眼でははっきり見れなくなってしまったことがなにより残念でならない
多分にもれず自分も相当目が悪い 最近は特に近視が進みこの前などはあの冗談のような大きさの0.1の円がぼやけてかなりあせった
残念なことに裸眼ではもう生活できない 原付も眼鏡等が条件だ
どうも最近はコンタクトという便利なものがあるからか目が悪くなっても 眼鏡かければ コンタクトすればいいじゃん と思う人が増えてきたように思う
眼鏡を作りにいくとよりはっきり見える度数の高いものばかり薦められるがあれはどうなのだろうか もう二度と視力は元に戻らず悪くなればまた高い度数にすればいいんだからよく見えるやつにしておけ ということなのだろうが自分はこの風潮にいささか懐疑的である 高校時代から眼鏡をつけはじめたが同時期弟はよく見えるからとコンタクトだった 親もそのほうが目が悪くならないといっていたが結果的に早く近視が進行したのは弟だった しかし今自分も時間はかかったが結局は生活できないまでに近視が進み眼鏡に固執したせいかはしらないが目つきもかなり悪くなってしまったように思う 果たしてどちらがよかったのだろう
もちろん後悔はしていない さすがにここまできて視力が元に戻るとは考えていないがそれでも眼鏡は不便に感じない程度の度数でいいしできるだけ生活の中でも裸眼でいたいと思っている
美しい自然の風景を裸眼でははっきり見れなくなってしまったことがなにより残念でならない
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